「昭和20年9月21日 夜 僕は死んだ。」
で始まる「火垂るの墓」。
余談ですが野坂さんの『戦争童話集』も,冒頭は必ず
「昭和20年~」と,日付から始まります。
あれは全部8月15日だったっけか?
中学2年で『僕の防空壕』をやったときも切なかったな…。
自分の中学時代はM村だったけど(扱ってたっけ?),
中学校勤務時代はT書でした。同じ市なのに。
話を戻して。
初めて見たのは小学生の頃でしたか。
何かの時間に学校で皆で見た覚えが。
その後,何度も見たけどその度泣いてた。
でも子供の頃は見られたんだなー。
セリフ覚え込むぐらいに繰り返し見たもんな。
もうね,予告でちらっと映るだけでも涙ぐんじゃうので
ここしばらくは見てませんでした。
というか,見られませんでした。悲しすぎて。
いつもは終戦ごろの放送だったと思うんだけど,
今回は9月。
なぜ今ごろ…?
と思ったら,清太さんの命日だったのね。
ダンナが別の番組を見てたので,チャンネルを回したら
既に二人で横穴壕で暮らしてたんだけど,
さすがにもう何度となく見ている映画なので
すぐに感情移入。
…にしても,何年ぶりに見たのかしら?
軽く10年ぐらい(それ以上?)たっちゃったのかなー?
子供の頃は「清太と節子が可哀想」の一心だったんだけどね。
今思うと,ただでさえ苦しい生活の中,働きもしない子供を
二人も抱えなきゃなんなくなったおばさんの気持ちや
あの仕打ちも,分からなくはない。
子供の頃はそこまで見えてなかったけれど,
おばさんの家だって大変だったんだ。
で,清太は家を出てくわけだけど,本気で節子の命を
守りたいなら,やっぱり頭下げてあの家に置いてもらう
べきだったんじゃないかな…と。
他にもさ,色んな細かい描写が,「あー,こういうこと
だったんだ」って分かったりして。
無知って怖いわね。同じものを見てるのにちっとも気付かない。
…と,約10(数?)年の時を経て,新たな発見のあった
硫酸でございました。
でも,(つけた途端の)泥団子に泣き,節子の火葬に泣き,
節子が元気に遊び回ってる回想シーンに泣き………。
なんかもう終盤にようやく見始めたにも拘わらず,
しっかり泣いたのは以前と少しも変わらないのでした(ノ_;)
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